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日本の文化 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 移動: ナビゲーション, 検索 ウィキプロジェクト 日本文化 日本の文化 (にっぽんのぶんか、にほんのぶんか) 本項では日本の文化全般について、幅広く過去から現在への事象を取り上げ、概要の説明やリンクを示す。 分類については、まだ発展・整理の途上であり、正式なものではない。日本発祥のもの以外でも、日本に深く根付いているものはこの記事に含まれる。 なお、日本の文化に関係する人物(文化人)は、原則として記述しない。人名一覧を参照のこと。 各年ごとの分野別の文化・流行などは年表からたどった各年の記事内の「芸術・文化・ファッション」の項を参照。 (例:2000年#芸術・文化・ファッション) 都道府県別の文化に関しては、Category:日本の文化 (都道府県別)を参照。 目次 [非表示] 1 概要 2 歴史 2.1 原始・古代 2.2 中世 2.3 近世 2.4 近代 2.5 現代 2.6 総括 3 日本文化論 4 外国から見た日本 5 民話・伝承・昔話 5.1 日本の主な民話・昔話 6 衣 6.1 日本の衣装 7 食 8 住まい・建築 8.1 日本の住宅 8.2 日本の建築 8.3 日本人の空間概念・意識 9 生活 9.1 伝統工芸 9.2 日本人の気質 9.3 街頭文化 9.4 日本の葬式 スカウト 9.5 日本の婚礼 9.6 通過儀礼・儀式 9.7 家族制度 9.8 付き合い 9.9 贈答・儀礼 9.10 祭儀 9.11 就学制度・教育機関 9.12 ハンディキャッパーとの共住 9.13 ペット(愛玩動物) 9.14 生活用品・日用品 9.15 日常の移動 10 行事 10.1 日本のこよみ 10.2 年中行事 10.3 日本の祭り 11 宗教 11.1 仏教 11.2 神道 11.3 神仏習合・民間信仰 11.4 キリスト教 11.5 その他の宗教 12 言語 12.1 日本語 仕事 12.2 日本語以外 13 娯楽・レジャー 13.1 娯楽 13.2 旅行・観光・行楽 13.3 遊び 14 スポーツ 14.1 伝統のスポーツ 14.2 近代以降のスポーツ 14.3 選手の育成・技能の向上 14.4 レクリエーションとしてのスポーツ 15 趣味・嗜好・教養 16 芸術・音楽・文学・映画など 17 情報・通信・マスメディア 18 サブカルチャーなど 19 地方の文化 19.1 北海道 19.2 沖縄 20 関連項目 21 外部リンク 看護師 求人 [編集] 概要 文化という言葉は、芸術や学問など人間が生み出した高い達成度を持つもの(ハイカルチャー)を指すとともに、人間の社会が長年にわたって形成してきた慣習や振舞いの体系を指す。後者の意味では衣、食、住などの日常生活全般に関わる慣習や、芸能、道徳、宗教から政治、経済といった社会構造まで、その範疇は非常に幅広い。日本の文化も単純にひとくくりにできるものではなく様々な要素を含んでおり、また他国からの影響も受けながら、時代とともに変遷してきている。ただし、日本の文化を決定づける要因として、日本固有の価値観を核として捉えることは重要である。 日本には古くから「神道」というシャーマニズムやアニミズムといった自然崇拝、精霊崇拝である多神教(八百万の神)に基づく宗教文化がある。原始宗教に近く、アイヌ民族や沖縄の人々とも共通し、世界各地に存在するものと傾向を同じくするものである。「神道」という言葉自体は当時の中華文明圏で名付けられたものであるが、これを日本では国家の宗教として大切に引き継いできた。いっぽう日本は、遠くインドを起源とする「仏教」を大陸から受け入れて、政治や経済と結びつきあるいは離反しながらも、様々な宗派に分裂して改変し、独自の仏教文化を定着させてきた。さまざまな伝統や慣習のうちには仏教の教義を起源とするものも多く見られ、その影響も多岐に亘っている。 日本は永らく神道と仏教とを神仏習合(神仏混淆)という形で共存させてきたが、近代になって明治新政府によって再分離され、神道は国家神道とされて軍国主義と一体となり国家覇権の手段ともなった。第二次世界大戦敗戦後にGHQによって、神道およびこれに係わる文化(剣道や歌舞伎など多岐に及ぶ)は焚書や活動停止、組織解散などの手段で排斥され、日本人の中にも神道をタブー視する雰囲気も現れた。また、新興宗教や左翼、共産主義者や日本人以外の民族主義者勢力からの批判もあるため、日本人の日常の生活意識から神道の精神的影響は薄れてきている。また明治維新後の西欧化思想によって日本人自身の手で抹殺してしまったものあり、その顕著な例として踊りや唄の伝承書が焚書されるなど、喪失された文化も多い。転職サイト 古代より受け継がれている日本の神道においては、他国の多神教では見られない独自の特徴がある。たとえば、道具や言葉、吐息にまで命が宿るという考え方(具体的には、針供養、道具塚や言霊、息吹という表現などにみてとれる)や、侵略してきた敵さえも祀るという考え方(例えば、蒙古塚)などである。中華文明圏では儒教から発展した朱子学という考え方も強くあり「敵は死者でも鞭を打て、恨みは石に刻め」などとするが、日本では「恨みは水に流す」と正反対である。このような宗教に基づく価値観は日本の風俗習慣、文化に深く根ざしており、祭礼、伝統芸能、武道、農業、林業、水産業、建築、土木、正月、七五三など、さまざまな場面に影響を及ぼしている。(針供養を行う寺は多いが、針を含めた道具に命が宿るとする考えは元々の仏教には、ないとされる) 純粋な宗教的価値観の具現化でないとしても、古来の神道が礎となってその上に仏教、そして密教や儒教や道教、あるいはキリスト教をも含め、さまざまな外来の宗教を混在させながら、今日ある日本の精神や文化の土壌は形成された。神道を主体とする宗教を抜きにして日本の文化や精神の本質は語れないという側面がある。現代世界が抱える諸問題において、このような日本的な宗教的価値観が有効とされる場合もある。これを方法論としてみた場合、たとえば「里山文化(鎮守の森)」の考え方は環境保全に対し、「大豆文化(倹約、醸造は神事)」の伝統は食糧危機問題に対し、問題の解決を示唆する可能性もある。(ヒンドゥー教は、正式には日本に伝わってはいないが、仏教や密教の成り立ちに多大な影響を与えているので、日本の仏教や密教または神道においてヒンドゥー教の神々が存在する。また顕著な例として日本に限らず仏教や密教の「蓮」に対する特別な扱いはヒンドゥー教が起源である) 日本文化を特徴的に示す概念として、「和(わ)」という言葉がしばしば用いられる(例:和語、和文、和歌、和服、和食、和風旅館など)。「和」は古くから日本を示す言葉で、漢(中国)や洋(西欧)など外国からの事物に対比して使われる。また「大和(やまと)」という言葉が使われる場合もある(例:大和言葉、大和魂、大和撫子、大和絵など)。「大和」は本来、奈良地方を指すが、同時に日本全体を示す古い言葉でもある(この場合、古くは「倭」とも書いた)。古代からこの国において不変と考えられる事象を示して呼ぶことが多い。 伝統芸能や伝統のスポーツ、お辞儀・礼儀作法・食事作法など広範囲に見られる特徴としては、「型(形)」の尊重といった点が挙げられる。これらのものには儒教道徳の影響や、人と衝突するのを避け和を尊ぶという心性から無言の内に相手への敬意・配慮の念が込められていることも多い。近年では欧米化が進んでおり、これらの規範意識の形骸化を憂慮する声もある。 日本の文化は、古代から中世にいたっては中国を中心としたアジアの近隣諸国、そして明治以降の近〜現代では欧米からの影響を受け、吸収・取捨選択を繰り返し、様々な手が加えられて独特な展開を遂げている。日本の伝統文化といっても、決して固定したものでなく、時代とともに変遷してきたものである。また、表面的に大きく変化していても、その中に一貫する極めて日本的な要素や傾向を指摘できる面もある(例:住居が和風の座敷から洋間に変わっても、室内に靴を脱いで上がる点では変わらない)。 [編集] 歴史 縄文中期の火焔土器、東京国立博物館蔵 東大寺の大仏 法隆寺金剛力士像 復元された帝国ホテル旧館の玄関部分 太陽の塔 [編集] 原始・古代 (日本人の起源について)(稲作の伝来) 紀元前から大陸や南方から渡ってきた人々が文化をもたらすことはあったと考えられるが、話す言葉や生活などは日本固有の文化が育ってきた。前漢の時代頃から中国の王朝に積極的に朝貢し初め、先進文化国だった中国の文物を受け入れるようになった。金属器(鏡、刀剣類など)や漢字、仏教などがその代表である。後には遣隋使、遣唐使が派遣され、留学生が先進文化を学び、日本に持ち帰ってきた。また朝鮮半島からの遣日本使を迎え入れ、逆に遣新羅使、遣渤海使を派遣するなど外交的・貿易的なつながりを持っていた。こうして日本固有の文化の上に外来の文化が取り入れられていった。 遣唐使の廃止(894年)後、外国からの影響が日本独自に消化されてゆき、「国風文化」時代を迎えた。貴族の女性の間で漢字からかな文字が生まれ、和歌や日記文学など文芸が盛んになった。芸術の分野でも、法隆寺や唐招提寺の建築には中国などの影響が強く見られたのに対して、宇治平等院では日本人好みの表現になっている(建築史では和様という)。 該当する文化:旧石器文化、縄文文化、弥生文化、古墳文化、飛鳥文化、白鳳文化、天平文化、弘仁・貞観文化、国風文化 [編集] 中世 古代末から中世に武士が台頭してくると、流鏑馬、犬追物など武士特有の文化が生まれ、合戦をテーマにした軍記物語(平家物語など)も生まれた。彫像も、力強い肉体を持った物へと代わっていった(金剛力士像等はその代表といえる)。都や農村では猿楽や田楽などの舞踊が発達した。平清盛の宋との貿易や、禅宗僧の往来、天竜寺船、勘合貿易など再び中国との交流も盛んになり、唐物が珍重された。室町時代は戦乱の世であったが、東山文化の時代を中心にして、猿楽(能)、茶の湯、書院(書院造)などが発展し、今日「日本的」といわれる文化の多くがこの時代につくられた。